楽天トラベル

宿・航空券・ツアー予約

楽天トラベルトップ  >   >   >   > 

びわ湖大津プリンスホテル(旧 大津プリンスホテル) 大津・幻の城ゆかりの地を歩く

  • クチコミ・お客さまの声(2242件)
  • メルマガ
  • 幹事さん機能
日程からプランを探す
日付未定の有無
チェックイン
チェックアウト
ご利用部屋数
部屋
ご利用人数

1部屋目:


大人 人 子供 0
合計料金(泊)
下限
上限

※1部屋あたり消費税込み

検索

利用日
利用部屋数
部屋
利用人数
大人 人 子供 0
合計料金(1利用あたり消費税込み)
下限
上限

検索

クチコミ・お客さまの声
フロントの対応は、とても親切で一歩先を行くような対応で良かったです。中華レストランや売店の対応もフレンドリーで...
2016年12月06日 20:37:39
続きを読む
地図
施設関連情報
外国語サイト

びわ湖大津プリンスホテル
びわ湖大津プリンスホテル
〒520-8520
滋賀県大津市におの浜4-7-7
TEL:077-521-1111
  大津の城跡

大津城

関ヶ原の勝敗を左右したと言われる大津籠城戦

江・浅井三姉妹の初が嫁いだ京極高次が城主となった5年後、関ヶ原の戦いが勃発。当初は西軍側(石田三成)に味方していたが、東軍側(徳川家康)に寝返りを決め城兵3,000人で毛利軍15,000人と戦った。この籠城戦のおかげで毛利軍が関ヶ原に間に合うことができなくなり、天下分け目の合戦の勝敗に左右したと言われています。その後、廃城となり膳所城が築かれたが、天守閣は彦根城(国宝)に移築され城門等膳所城で使われることになった。現在は京阪電車の浜大津駅付近に石碑があるのみ。 (写真上:大津城跡の碑 写真下:市中に残る大津城の石垣)

石田三成の最期

関ヶ原での勝利後、家康は大津城に入城。そこへ捕縛された三成が連行されるが、すぐに対面は許されず、縄文前に敷いた畳一帖の上で晒し者にされた。登場してきた東軍諸将の反応は様々で、罵倒・嘲笑する者あり、慰めの言葉をかける者あり。小早川秀秋に至っては「この卑怯者め」と反対に三成に一喝されたとか。その後、三成は六条河原で処刑された。

びわ湖の水運

びわ湖に蒸気船が登場するまでの湖上交通には丸子船と呼ばれるびわ湖特有の和船が使われ、最盛期の江戸中期には1,300艘もの船が運航し東海道の宿場町として発展した。(写真:丸子舟)

大津城ゆかりの地を訪ねる

和田神社
本殿は鎌倉時代の建築で、国の重要文化財に指定されている。表門は膳所藩の藩校「遵義堂」の門を移築したもの。また、境内にある銀杏の大木は樹齢600〜650年といわれ、関ヶ原の戦いで敗れた石田三成が京へ護送される中、つながれたという伝説が残っている。

■京阪「膳所本町駅」下車徒歩10分  ■TEL:077-522-2057
大津市歴史博物館
三井寺の北隣に位置し、大津の文化財や資料を収集、公開している。復元模型やイラスト、映像などを使って、大人から子供まで楽しみながら大津の歴史が学べる。大津百町のコーナーでは、江戸時代の町民の生活が復元模型で親しみやすく再現されている。他にも膳所城下町の復元模型や絵図、坂本城の出土品、光秀の書状などの展示もある。

■JR「大津京」下車徒歩15分  ■TEL:077-521-2100  ■大人¥210 ■月曜休館
大津別院
真宗大谷派(東本願寺)の別院。信長に敵対した本願寺の教如が創建。徳川家康が上洛の時に泊まる居館だった。本堂は外陣が広くとった典型的な真宗寺院で、書院とともに桃山建築の様式が見て取れる。また書院の天井には金地濃彩の円形草花図が描かれるなど華々しく、見る者を圧倒する。

■JR「大津」下車徒歩5分  ■TEL:077-522-6960  ■拝観は事前連絡必要

膳所城

築城の名手、藤堂高虎が築いた、湖上の浮城

関ヶ原の合戦後、徳川家康が軍事面で欠点のある大津城を廃城にし膳所城を築いた。湖上から眺めると水中に浮いて見えたため「湖上の浮城」とも呼ばれその美観は日本一とさえ言われた。(写真:「近江名所図会」に描かれた膳所城)

城下町の面影が今も残る風情

現在、膳所城の本丸跡は公園として整備され、入口には復元された城門と城壁、天守閣跡には石碑が立っている。また周辺には膳所城のゆかりの地が点在し当時の面影を偲ぶことができる。(写真:膳所城公園と城下の街並み)

膳所城ゆかりの地を訪ねる

芭蕉会館
昭和39年、芭蕉270年忌記念事業として、茶臼山中腹に建設。前庭からは芭蕉が生前愛した湖南の風景が一望。膳所城本丸東正面の二重櫨を移設改造したもの。

■JR「石山寺」よりバス「雲雀ヶ丘」下車徒歩5分  ■TEL:077-522-3830(大津駅観光案内所)
膳所神社
膳所城本丸跡地の近くにある神社。中世には諸武将の崇敬が篤く、社伝には豊臣秀吉や夫人の北政所、徳川家康などが神器を奉納したという記録が残る。表門は明治3年廃城となった膳所城から移築されたもの。

■京阪「膳所本町駅」下車徒歩1分  ■TEL:077-522-1167
縁心寺
膳所城の初代藩主・戸田一西が慶長7年に創建した膳所藩主の菩提寺で、境内には石の玉垣に囲まれた五輪塔型の本多家歴代墓などが並び、また戸田一西の木像をはじめ、膳所藩に関する資料なども多く保管されている。 ■京阪「膳所本町駅」下車徒歩8分   ■拝観要連絡


坂本城

悲劇の武将、明智光秀と運命を共にしたびわ湖の水城

比叡山延暦寺焼き討ち後、織田信長より監視と支配を任された明智光秀は、延暦寺の麓・坂本に大規模な城を築いた。その規模は、大天守と小天守を持ち、城内にびわ湖の水を引き入れた随一の水城であった。(写真右:坂本城の碑 写真左下:坂本城の縄張復元図 写真右下:湖中に残る坂本城の石垣)

明智左馬助の湖水渡り

本能寺の変の後、山崎の戦で敗れた明智光秀を救援しようとした明智左馬助も秀吉軍に包囲され、現在のびわ湖大津プリンスホテル周辺の湖岸から馬に乗ったままびわ湖へ入水し、現在のびわ湖大津館付近まで湖を渡ったとされています。(写真左:坂本城址公園の明智光秀像 写真右:明智光秀一族の墓)

坂本城ゆかりの地を訪ねる

比叡山延暦寺
平成6年に世界文化遺産にも登録された、天台宗の総本山。戦国時代、織田信長に焼き討ちされるも、その後天下を治めた豊臣秀吉や徳川家康の手によって復興。諸堂は数多くの国宝・重要文化財指定を受け、宝物類も見応え十分。杉木立の中、厳粛な空気が漂う。

■JR「比叡山坂本」よりバス、坂本ケーブル「延暦寺駅」下車徒歩10分  ■TEL:077-578-0001
聖衆来迎寺
中世を通し延暦寺の念仏同情として栄えた天台宗の寺院。戦国時代、信長による焼き討ちの際も、森可成の墓があったために難を逃れる。国宝・重要文化財も多く比叡山の正倉院とも呼ばれている。表門には坂本城の城門が移築され、当時を伺い知ることができる。

■JR「比叡山坂本」下車徒歩15分  ■TEL:077-578-0222  ■拝観は事前に申し込みが必要
西教寺
聖徳太子が創建した天台真盛宗の総本山で、明智一族の菩提寺としても知られる。信長の比叡山焼き討ちにより、寺も災禍を受けたが、光秀が大本坊を再建などに尽力。本堂は総ケヤキ造り(重文)また客殿は伏見城の遺構、狩野派による襖絵など見所も多い。

■JR「比叡山坂本」よりバス「西教寺」下車すぐ  ■TEL:077-578-0013

このページのトップへ