保性館前の道路が一方通行になります
2012年4月1日より保性館前の湯町玉造線(玉湯川の東側)が15:00〜24:00の間、普通自動車の通行が南進のみになります。※路線バス、観光バスなどの大型車は終日南進です。
※玉湯川の西側は自動車・歩行者専用道路ですのでご注意ください。
お車で保性館にお越しのお客様は、ホテルの玄関前(または玄関の前の聖橋)までお越しください。ホテルスタッフがお車を敷地裏側の専用駐車場に誘導いたします。
春から初夏のプラン販売中です!
保性館では4月1日から7月16日までのプランを販売中です! 懐石料理には山陰の味覚がふんだんに!お手頃な価格で楽しめる【和風】と【洋風】の懐石料理、山陰の季節料理がふんだん【満足三昧懐石】、地元の食材と季節のお料理にこだわった贅沢三昧懐石も【和風】と【洋風】で。当館自慢の美食懐石【優雅】もございます。
また日本最古の美肌の湯ならではの【女子会】プランもご用意♪ 彩り鮮やかな懐石料理とあでやかな色柄浴衣でおくつろぎください。
お部屋の種類によってはお部屋食にもできますので、ゆったりお召し上がりいただけます。
6月頃には、有志の方が大切に保存しているホタルの里で今年もホタルが見られるかも。
春の風情いっぱいの春の玉造に、是非みなさまお泊まりください。
■四湯めぐりのご案内■
■保性館と旅亭 山の井は姉妹館でございます。両館の大浴場は無料でご自由にお楽しみいただけます。
*保性館は、露天風呂・大浴場「紅柄」に大浴場「瑠璃」。(朝5時30分 〜 深夜 24時 ※夜と朝で男女入れ替え制)。
*旅亭 山の井は、男性露天風呂・大浴場「観月」。女性露天風呂・大浴場「花月」(朝5時30分 〜 深夜 24時)
【楽天トラベル・期間限定】5/21より【神話博しまね】神話博映像館入場券付『宿泊プラン』の販売を開始しております。通常プランとお値段が変わらない入場券付のお得なプランです。プラン一覧はコチラから。
従業員一同、皆様のご来館を心よりお待ちしております。
敷地内には庭園を眺められる伝統木造建築の「幽泉閣・紅梅閣」と鉄筋7階建ての「竹寿閣」、新館で鉄筋6階建ての「佳松閣」の4つの館があります。お好みでお選びください。
明治30年、大徳寺の高僧東海老師がご宿泊になった際、温泉に浸かりながら山々の景観に感動したことから、温泉と玉湯川の一体となった場所にあるこの旅館を、性(やすらぎ)を保つことのできる宿として
「保性館」と命名されたということです。
「保性館」と命名されたということです。
■玉造温泉のいわれ■
奈良時代初期に開かれ、日本でも最古の歴史をもつ玉造温泉は、大国主命とともに国造りをした少彦名命により発見されたという言い伝えがあります。
出雲風土記(天平5年/733年)には「ひとたび濯げば形容端正しく、再び欲すれば万の病ここぞとに除こる」とあり、そのため「神の湯」ともよばれたと記されています。
■枕草子にも登場■
平安時代には「玉造」の名は京の都まで届き、貴族の間でも評判になっていたと清少納言は「枕草子」で触れています。
■江戸時代には松江藩主にも愛された■
江戸時代、松江藩は泉質も良く地の利にも恵まれた玉造温泉に別荘「お茶屋」を設け、代々の藩主が静養に訪れました。
そのころには、湯どころには温泉の管理者「湯之介」が現れ、玉造温泉でも元湯・公衆浴場の管理、湯質の取り立てなどを松江藩から任された「湯之介」が大きな力を持ち、玉造温泉の一切を取り仕切りました。その支配は明治維新で松江藩が解体されるまで続きました。
■近代の玉造温泉■
「湯之介」の支配がなくなると温泉掘削も自由になり、各旅館が競って泉源を掘りました。その間、明治42年に松江宍道間の鉄道が敷かれ、明治45年には山陰線京都今市間が開通。玉湯川の土手の桜も植樹され、現在の玉造温泉が形成されました。
※大浴場ご利用時間:午後3時〜深夜1時 / 朝5時〜10時
夜と朝に大浴場・露天風呂とも男女が入れ替わります。
奈良時代初期に開かれ、日本でも最古の歴史をもつ玉造温泉は、大国主命とともに国造りをした少彦名命により発見されたという言い伝えがあります。
出雲風土記(天平5年/733年)には「ひとたび濯げば形容端正しく、再び欲すれば万の病ここぞとに除こる」とあり、そのため「神の湯」ともよばれたと記されています。
■枕草子にも登場■
平安時代には「玉造」の名は京の都まで届き、貴族の間でも評判になっていたと清少納言は「枕草子」で触れています。
■江戸時代には松江藩主にも愛された■
江戸時代、松江藩は泉質も良く地の利にも恵まれた玉造温泉に別荘「お茶屋」を設け、代々の藩主が静養に訪れました。
そのころには、湯どころには温泉の管理者「湯之介」が現れ、玉造温泉でも元湯・公衆浴場の管理、湯質の取り立てなどを松江藩から任された「湯之介」が大きな力を持ち、玉造温泉の一切を取り仕切りました。その支配は明治維新で松江藩が解体されるまで続きました。
■近代の玉造温泉■
「湯之介」の支配がなくなると温泉掘削も自由になり、各旅館が競って泉源を掘りました。その間、明治42年に松江宍道間の鉄道が敷かれ、明治45年には山陰線京都今市間が開通。玉湯川の土手の桜も植樹され、現在の玉造温泉が形成されました。
※大浴場ご利用時間:午後3時〜深夜1時 / 朝5時〜10時
夜と朝に大浴場・露天風呂とも男女が入れ替わります。
ロビー・ラウンジ「花ぐるま」・レストラン「聚楽」・足湯もあるホテル前の玉造温泉街




